生まれ変わったら..

名古屋の大学に通う大学2年生です。歴史と教育に興味があります。自分が思ったこと・感じたことを素直に吐き出す場にしたいと思います。

「答えて、ねぇ」~SOKOAGE CAMP後日談~

答えて、ねぇ

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半年前、東北にいた。

気仙沼で過ごした6日間、確実に自分の中に息づいている。

何かやらなきゃ、何かしなきゃと焦っていた自分が、少し立ち止まった。

6日間、何をしたかあまり覚えてない。

多分、自分と向き合ってやりたいことを整理して考えるつもりで飛行機と電車を乗り継いだと思う。

けど、そこで自分は何もしてない。

何もしなくて、立ち止まっていい時間だった。

そこで決めた。「もっと自分の心に素直になってみよう」って。

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何が変わっただろうか。

全力で遊びに行くことができるようになった。

家で体を休めることができるようになった。

身体が動かなくても、そういうメッセージだって受け止めることができた。

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でも、なんかそんなプラスのイメージは持ってない。

重い話を考えられなくなった。

自分の将来とか、長期休みにやることとか。

ワクワクすることは多いんだけど、なかなか身体が動かない。

周りは?インターン行ったり、留学行ったり。それぞれがそれぞれの道に向かって進んでる。

自分の価値ってなんだろう。私社会で生きていけるかな。

私の軸ってなんだろう。私の未来ってなんだ。

10年先から逆算するのは古いってさ。10年後、どんな世界になっているかわからないから。

大事なのは、「今、ここ」を大切にすること。

それが私にはできているだろうか。

結局、私は逃げる言い訳を得ただけなんじゃないのか。

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私は何が変わったのか。

忙しいときは休みたいと願い、休んでるときは何か成長したいって感じて。

やっぱ、ベットの上で身体が動かせないでいるとつらい。

おっきいプロジェクトやってる人はきっと毎日休まず動いて働いて成長して。

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あ、でも、私も頑張ったよ。

サマーキャンプ。今まで学んできたすべてを出す場だった。

なごCity。怖さと戦って前に立ってる。

振られても、フル単したんだ。

そこは、自分を褒めよう。

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来年どうしよう。ほんとに休学するのかな。

今までストレートで来て、ある程度人から評価される位置にいて。

少し疲れたんだ。もっと、ワクワクして生きたい。

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その日まで 負けないよ。

 

 

「心の振れ幅を整理しよう」

ここ2日間、ずっと病んでました(笑)

今は、少し楽になったので、その思考の過程を残しておこうと思います。

 

というのも、相も変わらず自分の将来が定まらず...

自分は将来どうしたいのか。

何が大事なのか。

お金がたくさんほしいのか。

何も考えず少ないお金で楽に生きていたいのか。

それとも、やりたいことをやって生きていたいのか。

そもそも自分のやりたいことは何なのか...?

 

そんな自分に、影響を与えたニュースがありました。

トヨタの社長、豊田章夫氏の会見です。

「日本の終身雇用が継続できない」と。

「終身雇用の崩壊」が「シューシンコヨーノホーカイ」として学校で習った自分にとって、カタカナが漢字になった瞬間でした。

元々あまり安定とか、大企業とか、興味なかったけれども、なぜか心が暗くなったことを覚えています。

 

そこからTwitterで始まった議論は、自分の心をえぐり取るものでした。

・今後は、一部の優秀な人だけが高い報酬をもらえて、そのほかの人はアルバイトレベルの給料で働かされるだろう。

・大企業が安定を保証できないと言っているのに、その大企業に安定を求めて大学生が殺到するのは愚かだ。

・公務員ですら終身雇用ではシステムが持たない。

・年金制度の崩壊は目前だー

・日本では、若い人が力がないのをいいことに労働力を搾取し、特に技能を身につけさせず、社会にまた放り出す。

・スタートアップに就職して、スキルを身につけたほうがいい。

などなど。どれも多感な19歳の心には重いものばかりです。

 

さらに、幸か不幸か、高校の同級生がETICのMAKERS UNIVERSITYの4期生であることをひょんとしたところから知りました。

その子は、高校から東京の大学へ進学した子で,もともとそんな世界に関係しないような子でした。

そんな彼女が、自分の直感を信じ、行動している。

自分にとって、衝撃的でした。と、同時に、焦りました。

実は、お世話になっている人から、進められたことはあるんです。

方や高校時代から頑張ってきた自分は、今、「アイディアがない」「熱量がない」「やりたいことがわからない」と頑張ることから、成長から逃げているのに。

自分はちゃんとお金を稼げるのか。好きな人と結婚して、やりたいことやって、子どもを育てて...そんな生活ができるのか。

そのためには、今からインターンとか頑張らなきゃいけないことぐらいわかっているのに、何にもやれてなくて、ただただ時間を浪費するばかりで。

これが昨日の夜。ベッドの中で泣いてわめいて、苦しくて、そんな夜でした。

 

でも誰にも相談できなくて。誰に話してもわかってくれないし。

そんな中、以下のツイートを見ることになります。

トヨタの社長はそんなに厳しいことはいっていない。

・どんな環境にいても、学び取ってやるという意識が大事なのでは。

 

んー、確かにね。でも、このツイートを見た瞬間に心が軽くなったのは事実です。

なんだろ、やっぱり自分は安定を求めているのか。

将来に対して悲観しすぎなのか。

これからの頑張り次第でどうにでもなることなのか。

 

心は軽くなったけど、現実は何も変わっていないわけで。

やってみたいこと、あるけれども、うまく言葉にできてないし。

上手く整理も出来てないし。

将来のこともしっかり考えなきゃいけないし。

わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、って感じ。

それは、すごくつらい。

けど、心が軽くなった。自分はもう成長したくないのか。

気仙沼に行ってから、将来を考えることができなくなった。

何もかもから逃げ出したい。

もうわからない。

このまま、ずっと大学生でいたい。

親のお金を使って生きていきたい。

そんな気持ちに襲われている。

 

でも、心が少し軽くなった。

ただ、それだけの二日間だった。

もう少し、楽にいきたいなぁ。

 

 

大学が始まった

大学が始まった。

一週間18コマのハードスケジュール。

一限が週4日ある日々。

単位数制限がある私立大学では経験できない生活。

 

朝、今池で、本山で。

いろんなときに、金山で、名古屋で。

改札に向かう人ごみに紛れて歩く生活。

Manacaを片手に歩みを進める自分の顔はどうだろうか。

きっと、希望に満ちてないだろう。

「自分は特別な一人の人間でありたい」と願うのに。

その場を俯瞰して見ると、私は社会の何気ない一人に過ぎなくて。

毎日その感覚に襲われている。

 

 大学が始まった。

高校時代の憧れの先輩が編入してきた。

高校時代一度もなかった、隣で机を突き合わせて学ぶ時間。

その授業の間も、妙な圧迫感を感じる。

人生の経験の違い。圧倒的な学びの差。

たった1つしか違わないのに、かくも違いがあるのか。

隣にいることで、改めて感じるすごさ。やっぱりすごい。

同時に自分に感じる劣等感。

「こんなの理念になるわけないじゃん」という一言。

自分はその真意がわからない。

 

大学が始まった。

18コマと言っても週に4日は16:30には授業が終わる。

自分が思ってるより、多くの自由な時間が、かといってどこかに行くには中途半端な時間が与えられている。

その時間をうまく使えていない。そんな気がする。

何か学ぶとか、何かできるようになるとか、なんでもできる気がするのに。

何もできない。苦痛な時間。

 

大学が始まった。

専門科目が始まった。

「概論」と書いていながら、結局好き勝手な範囲をやっている。

高校みたいに、一から十まで日本史の知識を教えるわけじゃない。

文学部の先生って大変だと思う。

経済や法みたいに確立された理論体系を教えるわけじゃない。

まだ不確実なものを、授業で扱わなきゃいけない。

「自分の専門は〇〇です。」と自分を客観視する。

「自分は〇〇の考えを批判しています。」と自分の位置を定める。

自分の好きなことを研究していく中で、考え方って変わる。

そのとき、今まで自分の軸としていた客観視していた自分とどこまで離れるのか。

文学部の先生って難しい。

 

大学が 始まった。

 

 

 

 

 

 

「『教育』という概念を捨てたい」

ふわぁぁぁぁ、この数日間でいろんなことが言語化できた...

 

始まりは2月だった。兵庫の高砂で行われた「U-19 子どものまちサミット」

当時(今もか)19歳だった竹入少年は、子ども側としての参加だった。

が、他の参加者とどうも話がかみ合わない。何か違う立場にいる。

そこで、初めて自分が子どものまちに関わる視点が変わったことに気が付いた。

同時に、教育を「施す」という意識を持っている自分に気が付いた。

それは喜びでもあり。

さんざん言っているように

 

恐怖でもあった。

 

一つは、自分が人に、子どもに関わる恐怖。

自分の与える影響力の未知性。

もう一つ、お前は偉くなったなと。

いつから「施す」なんて思うようになったんだと。

お前は、そんなことできる人間だったのかと。

 

自分の将来に対する悩み、迷いに苦しんだ2か月だった。

今も苦しんでいる。自分は何をしたいんだろうと。

人と関わるという第一の恐怖に隠れて、自分はもう一つ恐怖を抱えていることを忘れていた。

自分が「施す」なんていえるのか。

そんな立場は、教育に携わるものとしていけないだろう。

いわば、「天狗」の状態。

第七回の子ども実行委員会が少しうまくいったからって。

 

自分に何ができるんだろう。

子どもたちと「対等」に。

...「対等」と思うことがそもそも上からの発言なのかもしれない。

 

「自分は完璧な人間じゃない」

私は頭がよくない。人の話を聞くことも出来ないし、ちゃんとした答えが出せるわけでもない。

私には経験もない。せいぜいマネジメントがちょっとできるぐらいで、ファイナンスも、プログラミングも、なーんにもできない。できようとも思わない。

 

「指導者は、自分の指導に自信を持っているべきだ。」

私は指導者にはなれないな。自信なんて持てるわけない。

持ったら、それは成長にならない?

子どもたちの前で泣いてわめいて苦しんで、そういう人間だ。

 

自分がやりたいのは与える・施す『教育』じゃない。

そうなったら終わりだ。

そもそも、「教える」「育てる」ってこと自体、あまりよくないのかもしれない。

自分のことも、相手の子とも、一緒に真剣に悩む、そんな人間になりたい。

 

だから、頑張らなきゃいけない。

キャリアは自分が作るもの、という言葉もある。

頑張っている人を見ると、涙が出てくる。

昔の、ひたすらに運常に打ち込んでいた自分に申し訳なくなる。

私も頑張らなきゃと思う。

でも次に出てくるのは、「何を?」という疑問。

今、何を頑張ればいいのか。

 

自分は深海に沈んでいる。

本当は、手を伸ばすか伸ばさないかの違い。

頑張っている人は手を伸ばし、私は海のそこに沈んでいる。

相手から、海の上から手を指し伸ばしてくれればその手をつかむことはできる。

 でも、ただそれだけ。

 

でも、まずは

こうやって言葉にできた自分をほめようかな。

ぐちゃぐちゃな頭の中。

 

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去年の3月 沖縄にて

 

「人生そんなに楽じゃない」~SOKOAGE CAMP 事後研修~

気仙沼ってどうだった?」と帰ってきてからたくさんの人に尋ねられた。

自分の中では、あの感覚ってうまく言語化することができなくて。

心地いいような。幸せなような。

今日、また、その気持ちを感じてきました。

 

オリセンで行った事後研修会。

4年前、新しい自分に出会い、そして苦しむきっかけとなった場所。

正直、あまりいい思い出はない。

気仙沼に行くことになったきっかけでもある。

 

あの1週間を終えて、確実に変わったことがある。

「やりたいことをやっている自分を肯定すること」

これが多少なりともできるようになった。

何気なくベッドで動けない時間。

その時間を自分は欲しているのだと気づいた。

趣味を楽しむ自分を肯定できるようになった。

多少なりとも、自分は楽になったのかもしれない...

 

でも、本当にそうかな?とも思う。

この一か月で、自分の軸を見失いかけている。

教育に対する、「人と関わること」に対する、不安、迷い。

 

恐怖。

 

本当に自分の進むべき道はこれでいいのか、という悩み。

あれ、自分がしたいことってなんだっけ...?

今まであったはずの、将来像が崩れていく。

 

何かとうまくいかないことが多かった。

バイトも、自分がやりたいことをやりたいようにやれている面もあるけど。

「組織」「企業」であることの窮屈さ、息苦しさを感じるようになった。

生徒たちに接するときも、自分の言動に怯えるようになった。

「この一言が、目の前の相手の何かを壊すのではないか」と。

 

「今、自分がやりたいこと」に従って生きていたいのに。

「やらなきゃいけないこと」「考えなければならないこと」に追い詰められ。

中途半端に将来を考え、苦しむ。

 

人の上に立ちたがる醜い自分。

自分より「すごい人」の欠点を探し、自らの安寧を守ろうとする。

自分より「すごくない人」のいい点を探し、善い人ぶる。

そして、結局何も自分で変えようとしない、自分。

まじで、これからどうやって生きていくんですか。

 

 

何より、自分をさらけ出せない自分がいる。

事後研修の2時間でさえ、当たり障りのないことを言っていた。

話す相手もおらず、いても自分のことを包み隠して。

あの時。私は、あつさんとあやかさんに半強制的に自分のことを話す時間を与えられた。

その大切さに、気づかされた。

 

 

 

 

 

結局、人生そんなに簡単に楽にはならないよなぁって。

 

 

 

自分の親って、幸せだと思う。

中学生のころから志していた建築の世界で働き。

自立してある程度自由にお金を稼ぎ。

年に数回家族旅行に行き。

 

もうなんだろ。彼女といることが幸せなのかもしれない。

もう学生代表なんて放り出して。

何もしないで。バイトと勉強に明け暮れて。

そうやって普通の大学生に戻ったほうが楽なのかもしれない。

普通に就職して。昭和のレガシーにすがって。

家に帰ったら大好きな人に会える。

そんな生活が自分の望むものなのかもしれない。

少し、前に進むことにつかれた。

 

でも、そんな自分を、自分は決して許せないだろう。

いろんな人と比較して「自分はダメだ」って思いこむんだろう。

んー、どうしたらいいんだ...

 

 

勇気がいることだけど、まずは、自分をさらけ出せるようになりたい。

今自分が何に苦しみ、どう思っているのか、誰かに伝えたい。

そう思った事後研修でした。

 

でも、久々にみんなに会えて楽しかったなぁ..

また会いたい。会って、普通に話がしたい!

 

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朝、散歩した大さん橋 

 

「子どもが徹底的に楽しむこと」 ~ミニさくら 探訪記~

「見守ること。忍耐すること。指図しないこと。口出ししないこと。楽園天国!」

 

3/22,3/23の二日間。千葉県佐倉市で開催されている「ミニさくら」に行ってきました。

2月の子どものまちサミットで「各地の子どものまちを見に行こう」と決めて一か月。

その最初になったのが、このミニさくらでした。

名古屋から夜行で7時間。そこから最寄りの志津駅まで1時間。さらに徒歩20分。

まぁ、気仙沼に行く工程に比べたら楽なものでした。(笑)寝られるし。

日本で初めて子どものまちを行ったとされている土地。佐倉市

その文化・伝統を肌で感じることができました。

 

まず感じたのが雰囲気の緩さ。

集合が開始の30分前。

机といすとブースキットが置いてあるだけで他は何も準備されていない。

子どもたちが来てから、ブースを作り始める。

なごCityでは、「時間までにブースが完成しない」なんてよくあることですけど、ここでは、「ブースは始まってから作る」もの。

しかも初日は金曜日。佐倉市の小学校は終業式。

10時の開始の時点でいるのは、卒業した6年生と幼稚園児のみ。

おかげさまで12時ごろまでのーんびり隣のブースの人としゃべっていました。(笑)

その時間は自分にとって何か居心地のいいもので。

いつも子どものまちをするときはある程度の覚悟というか、忙殺される前提で行くんですけど、ここではそういったものもなくて。

上手く言葉では表せないけど、落ち着いた時間でした。

 

じゃあ、子どもが来始めたからと言って忙殺されたか、と言われるとそんなことはなく。

というのも、一つのブースで雇う人数が少ないので、一人ひとりに向き合えるというか。

その子の自由をある程度保障してあげられる気がして。

ブースの運営自体がすごく楽。

回転が少ないし、複雑な仕事でもないし。

手芸品など、教えなきゃいけないところは、地元の人がたくさんいて。

なので、子どもに説明させたり、子ども同士で考えさせられたり。

長い間やってきたからこその文化なんだろうけど。

 

普段いる時間は窮屈で、どこかせわしなくて、疲れてしまうけれども。

とにかく緩く、自由で、素敵な時間。

本当はその根底にある要因を考えることが大切なんだろうけど。

今は、まだわからない。

今後の課題ですね。

 

来週(今週?)は、SOKOAGE CAMPの事後研修。

その前に、横浜のミニヨコハマシティに行ってこようと思います。

またこうやってまとまられたら(まとまってないけど)

 

 

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1日目始まる前の中志津中央商店街

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、日常に帰ってきた。

「半年間で起業した話」を読んで「うわぁぁぁぁぁぁぁ」ってなり。

「日本人のココがダメ!」ってツイートを見て「わかるけどぉぉぉぉぉぉ」と叫び。

「4年間が空虚じゃないように」という訓示を聞いて「ああああああああ」ってなり。

心が揺れ動く毎日です..

今週、みんなに会えるのが楽しみだなぁ..

「自分の夢が気持ち悪い」 ~ SOKOAGE CAMP 14期 ~(後日談1)

--教室の隅 貼り出された 子供の頃の夢には

職業の種類だけが並んでいた

でも本当は自分を ちゃんと愛せる自分に

なることが何よりも大事だった

 

MESSAGE / Bank Band with Salyu

 

あつさんが紹介してくれたこの曲

CAMPが終わってから何度も聞いています。

 

自分も、昔は「ぷろやきゅうせんしゅになりたい!」って言ってました(笑)

今となっては見る影もなく、バカだなぁとも思いますが(笑)

でもいつしか、自分の夢は変わっていきました。

 

今の夢は、「高校生が自分で進路を決められる環境づくりをすること」

 

なんでこうなったのか、っていうのは話すと長いので、割愛します。

いつしか、「職業」じゃなくて、「やりたいこと」に夢が変わったのです。

長い間かけて、自分の経験から導き出した答えだと思っていました。

 

その答えが、今、「気落ち悪い」

 

東北にいる間、いろんな人から「将来の夢は?」と聞かれました。

そのたびに、今まで自分が考えてきたことを話したんですが...

何か、自分の中にしっくりこなくなってきて。

なんでなんだろう......

 

そもそも、何も考えないならば、自分は「子どものまち」を運営して生きていきたい。

「子どものまち」を考えているときが、自分にとって一番幸せだから。

でも、なんだろう、その幸せが「何かに熱中すること」から生まれるものであれば、

高校時代の生徒会もあれで生活していけたらなぁ...って思えるほど熱中していたし。

でもそれで生きていくのが難しいってわかてるから、安易な「教師」というものに逃げていると感じているのか?

 

夢が曖昧過ぎて、具体的な手段が思いついていないからなのか?

自分が学校の中に入って、どう生徒と社会をつなげるのか具体的なビジョンが描けていないから

自分の今の「夢」が絵空事に聞こえるのか?

 

それとも、「自分には力がないから」って今からでもできることから逃げているから?

「力がないからできない」って心の底で思い込んでいて何もしていないから?

 

わかんない

 

わかんないけど、何か、今はこの「夢」を語りたくない自分がいる。

10日間の東北滞在で、変わったこと。

自分が語る「キャリア教育」の言葉が軽く思える。

上っ面の言葉に聞こえる。

自分は何をして生きていきたいのだろうか。

 

他の事業でお金稼ぎながら子どものまちを運営しようか。

何かに熱中してプロジェクトするのが楽しいのか。

何かにハマっている人間に羨望を抱いてしまう。

あぁ、今日もそうだった。

前に比べたらまだましだけど、苦しい一日だった。

 

自分は何をして生きていきたいのだろうか。

自分は胸を張って「幸せだ」って言える人生を送れるのだろうか...

 

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(アツアツのご飯麺)