スケジュール②
さて、先日「来期の授業調べてみるか―」と調べてみました。
といっても、自分の学部は2年生からあんまり必修がなくて、「4年生までにこれだけとってねー」といった感じです。
その結果がこちら
…多くね?
え?週19コマ?シユウジュウキュウコマ?
水曜日フルコマ?スイヨウビ..?
びっくりもびっくり
俺4月からこんなに大学通わないちいけないのか..
あまり活動できないなぁとか(いや、まぁする活動もないか..)
でもなんか余裕ないよなぁとか
車校とバイトと大学で前期終わるのかな..って不安になったり
やっぱり来年休学しようかなと考えたり
いやぁ、どうしたいのか自分でもわからねぇ(笑)
ってただそれだけでした(笑)
スケジュール
今年、一年間使うと決めたスケジュール帳
このデザインが好き
「来期のシフト何曜日にする?」って今日のバイトで聞かれた。
すごく悲しくなった。
自分の4月のスケジュールがこれ
何も、ない。
そう、何もない。
授業の時間割もまだ調べてない、イベントの予定も何もない。
これでいいのかよって自嘲してしまう
こんなんでなりたい自分になれるのかな
ちゃんと成長できるのかなと不安になってしまう
前々のブログで、「やりたいことをその時にやる」って書いて
(だからこそ今こんな夜に文章にしている)
少し楽になったつもりでいたのに
社会はゆっくり進みたい自分を横目に
「早く前を見ろよ」ってささやいてくる
大学のカリキュラムを調べていたら
集中講義やら、事前の研修やら
考えたくもないのに、先のことを考えてしまう
私はここにいたいのに
環境が許してくれない
いや、これがバイトがやりたくないことならいいんだけど
めちゃやりたいことの一つだし
ただ、その弊害として
毎月、自分に不安になったり、悲しくなったり
まぁ、シフトは結構簡単にずらせるし
(じゃなかったら、事後研修会行けないし)
毎月、シフトが決まってしまえば、満足して
何事もなかったかのようにふるまうんだけどさ(笑)
今月は、この気持ちをとどめるために、書く
「答えはいつも手の中に」 -SOKOAGE CAMP 14期~ (下)
SOKOAGE CAMPには『ジャーナル』なるものがあります。
CAMP中常に持ち歩いて、その時自分が何を感じたか、何を考えていたか、を逐一記録するものでした。
私たちは、これを夜提出します。
そして、その日一日がどんな日だったのかスタッフやインターンの方が確認するのです。
ジャーナルは、スタッフやインターンの方がコメントをして、翌朝に帰ってきます。
なんでかわからないけど、自分はそのコメントを見るのが嫌でした。
多分、自分が否定されることを怖がっていたんでしょう(笑)
それぞれの方が思い思いのコメントを書いてくれたのですが、その中で自分にとって印象的だったのは矢部さんのコメントでした。
決して長くはない。むしろ、一文。長くて二文。
ただ、その一文に矢部さんの伝えたいことが濃縮されていて、しかもそれが的確に胸をえぐってくる(笑)
この画像は、4日目の矢部さんのコメントです。
CAMPを終えて今、この言葉におもうことがあります。
(上)(中)でさも新しいことに気づいたかのように書いていましたが、そんなことはなくて。
むしろ、今まで気づいていたことに改めて気づかされたんです。
自分と向き合うことで、改めて感ずることがある…
自分の悩み・息苦しさを解消するために、自分の中にある考えを紡ぎだす。
それが、大切なんだなって。
もちろん、解決するためには、新しい考えを知ることも大切。
この二つの観点を、うまく使い分けながら、今自分がどんな状態で、どうしたいのか考えるってのが大事なのかなぁ…って
何かを学ぶこと、その学び方
んー、むずかしいなぁ…うまく言葉にできない…
結局、自分の中にある考えを紡ぎだす。その大切さ。
このことに気づけたと思います。
最後になりますが、SOKOAGE CAMPで自分に関わってくれた人々
みほし、しがりん、しかぽん、たむ、しおり、みれ、かとみな、ななぴ、なぎ
インターンのはるかさん、ゆきこさん、あやかさん
スタッフの矢部さん、あつさん、さゆりさん
癒し役のてる
本当にありがとうございました!
と、いい感じでまとめましたが..
当初3回でまとめ切る予定でしたが、もう1回書きたい内容が生まれてしまったので(後日談)として書こうと思います。
まぁ、元々上・下で完結させるつもりだったのが上・中・下になってるし、そもそもこのブログは自分が納得するまで書けるスペースだと思うので、あんまり気にしてないですが(笑)
「私は一人では生きられない」~SOKOAGE CAMP 14期~ (中)
SOKOAGE CAMP 振り返りの中編です。
最初、気仙沼駅に着いたとき、とてつもない緊張に襲われていました。
知らない人しかいない場に行くのはいつ以来だろうか...
一体この人たちに何を話せばいいのだろうか。
実のところを言えば、一ノ関駅から何人かは同じで、「あ、この人CAMPに行くんだな」ってのはわかっていたんですけど
(みんな大きなキャリー持ってるからね)
まず間違いなく話せるわけもなく...
あんなに緊張したのって、早稲田を受験した時以来かな、と
ただ、CAMPって不思議な場で、だんだんみんな自分の抱えている苦しみ・悩みを話せるようになってきて。
その要因は?って聞かれてもわからない。
けれども、安心・落ち着ける・話せる・笑える・泣ける...そんな場が、いつしか勝手にできていたと思います。
自分だけでなく、みんな緊張していたけど、4日目以降はみんな話せるようになって
居心地のいい空間ができあがってた。
そんな中で、自分は自己開示が最後までできなかった。
いや、痛恨も痛恨ですよ。他人と話したい、自分の悩みを聞いてほしいって気仙沼まで行ったのに、CAMPのメンバーにはあまり(0ではないですが)話すことができなかった。
結局、気仙沼の家に戻ってから、みんなが晩御飯作っている横であつさんに号泣しながら話したり、夜中2時半まであやかさんに付き合ってもらったり。
なんで話せなかったんだろうか。
「みんなも今向き合ってるから迷惑かな」「自分の悩みってまとまってないし、うまく伝えられるのかな」という不安があったのか、それとも「自分の大切なところが否定されるかもしれない」という恐怖があったのか。
決してあのメンバーを信頼していないわけではないんだけど、誰にも話せず。
仕方ないから自分で「今何がつらいのかな」「今後どうしたらなりたい自分になれるんだろう」って考えていたけどまとまらず...
最終的にはあつさんとあやかさんが助けてくれたから何とか形になったけど、そうじゃなかったら...と考えるとぞっとします。
そう、自分は一人では生きられないんですよ。
誰かに自分の気持ちを話し、整理することなしに、自分は自分のことがわからない。
それを改めて実感しました。
自分にもっと素直に、人にもっとわがままになれたら
自分のために時間を使えたら...
そんなことを思わずにはいられない時間でした。
だから、これから、今までより、助けを求めるようになると思う。
不器用なりに、精いっぱい生きる。
その時は、どうか受け止めてやってください。
--泣いてる人のために
僕もどこかで
何も気付かず
そっと涙流したい
「頑張ることをやめます」~SOKOAGE CAMP 14期~(上)
2/25から3/2まで、気仙沼でSOKOAGE CAMPに参加してきました。
そこで自分が考えたこと・感じたことをまとめようと思います!
SOKOAGE CAMPを知ったのは4年前、まだ高校一年生の頃でした。
カタリバさんのマイプロのスタートアップ会議に参加した時、自分のメンターをしてくれたのが、認定NPO法人底上げの理事長の矢部さんでした。
あれから4年、特に大学に入ってから1年。息苦しい日々を送っていました。
本格的に教育をする側になり(もちろん受ける側のことが多いですが)、コラボキャンパス三河でインターンをはじめ、大学の勉強についていけず..
自分の力のなさをこれまでかと見せつけられた日々でした。
そんな中、土日にベットでボーっとするしかできない自分を責めていました。
なぜ頑張れないのか。なぜ成長しようとしないのか。
なぜ周りは頑張っているのに、自分はやれないのか。
なぜ周りはすごいのに、自分は追いつこうとしないのか。
昔の自分のほうが頑張っていたのではないか。
自分より「すごい」人に会って、劣等感を押し付けられて......
いろんな要因が重なり、もう何もかも投げ出してしまいたいと思う日々でした。
それは、SOKOAGE CAMPに行ってからも続いていました。
あの場では、自分のふるまいについて、とがめられることはありません。
向き合いたいときは向きあう。散歩したいときは散歩する。寝たいときに寝る。
それが許されている環境..のはずだったのです。
でも、自分は自分を許せなかった。
周りが必死に自分に向き合っているのに、何もせずゴロゴロしている自分が許せなくて。
頑張らなきゃ、向き合わなきゃって思っていた。
でも5日目の夜、あやかさんと話していて、だいぶ心が軽くなりました。
伝えられたのは、「無駄な時間なんてない」
1日の中で、ソファに座って携帯を見る。その時間って一見無駄なように見えるけど、その時間を費やす価値があると思って私たちはそれを選択している。
「パッ」って思った「やりたい!」という感情に従い、行動に移している自分をもっと肯定する。
それだけで、だいぶ楽になるんじゃないか、と。
それまで、「成長しなきゃ」「頑張らなきゃ」と思っていた自分、スマホや散歩を敵視していた(といっても重度なスマホ依存なんですけど)自分にとって、あの会話は、世界が変わるきっかけでした。コペルニクス的転回ってこういうことを言うんですね。
だから、決めました。
「竹入は、頑張ることをやめます。」
んー、少し違うな。「『頑張ろう』と意地を張ることをやめます。」って言ったほうが正しいのか。
「やりたい」に従っている自分を肯定して、受け止める。心からふつふつと湧き上がってくる「やりたい」に従う。それだけで、人生少しは楽になるんじゃないかな。
そんな仮説を立てて、これから検証していこうと思います。
もちろん、不安はあります。
まず、より楽なほうへ楽なほうへといってしまうのではないか。成長の阻害になってしまうのではないか。
もう一つは、周りからの刺激・プレッシャーに耐えられるのかどうか。
実際、今、気仙沼から女川に移動して、やりたいことをやっている人のすごさにビックリしています。刺激だらけで、「自分何しているんだろうな」と感じることもあります。
でも、今はこれでいいと言える自分がいます。こうやってブログに記録しているのも自分の「やりたい」に従っているんだなと思うと、幸せです。
まずはこの仮説を検証しようと思います。
「自分のやりたいに従ったら、人生は楽になるのか?」
さぁ、楽しく生きよう
まず、やりたいことリストを作りたいなぁ...
ちなみに、もう既に一つやりたいことは達成しました。
「SOKOAGE CAMPの事後研修に参加すること」
次の日から旅行?バイトが入ってる?全部何とかしました(笑)
すごくいきたくて、これがふつふつと湧き上がる感情に従うことなのかな、と
えへへ、今はすごく、幸せです。
(会場となった廃校です)
--だけどもう一度 だからこそもう一度
望んでなれるものじゃなくても
まだ自分さえ知らないような
「幸せだよ」と真っ直ぐ言えるような
笑顔の自分になりたい